初の長野からの受講生です。(10月3日、4日)

最近の受講生の方は、沖縄、宮城、栃木、福岡、そして長野と遠方からの受講生が増えてきました。
全体でみると香川県内30%、県外70%で大半が東京から大阪、広島までの交通の便の良好な地域からの受講性が多かったのですが、長野県からの受講申し込みがあったことでいよいよ全国展開の日も近いのかなという想いが脳裏をよぎるようになりました。

私の取って長野県と言えば特に感慨深い思い出があります。
13年前、師匠が施術の仕事を辞めたい意向であり、息子さんも跡を継がないということで妻から「先生が辞めたらみんな困るからあんた何とかしなさい」と言われたことがありました。
当時はまだ現役の銀行員でしたから『そんな難しいことはできないよ』と笑って済ませていましたが、妻の死を契機に骨法の凄さを認識し、この療法を日本に遺さねばならないという想いから即座に弟子入りを志願しました。
師匠の下で3年間の修行を積み、一年間の無料施術を経て有料で営業を開始したものの、師匠は元気に施術を続けていて今私の出番ではないという考えから骨法と並行して別の仕事を初めました。その仕事が順調に軌道に乗りだした頃に、名古屋のアトピーの方から一本の電話がありました。
「アトピーを師匠に治してもらって95%まで良くなったのだが、あと少し治りきっていなくてもう一度師匠から施術を受けたいのだけれどももう診てもらえない。名古屋にお弟子さんはいませんか」という内容の電話でした。名古屋のお弟子さんのことなら師匠に聞けばいいのにわざわざ面識も何もない私に連絡をしてきたということは師匠は電話にも出られない状態なのだろうかと不安になりました。
その後まもなく秋田の方から電話があり『骨法の施術を受けたいのだが遠くて行けない。近くにお弟子さんはいないだろうか』という内容の電話でした。
さらに長野の方からも同様の電話があり、全国で困っている方が大勢いらっしゃるということがわかりました。
師匠が施術ができない状態で、私も他の仕事を始めている状況では当時の日本には私を除くと誰も骨法の全身施術をしている人がいない状況だったのです。
この広い?日本で骨から治す本物の療法の施術院がわすか一軒しかないというお寒い状況だったのです。(今の状況も大して変わってはいませんが)

「師匠が元気だから大丈夫だろう」と安心していた私は「しまった!」と思いました。このままでは日本は真っ暗闇になってしまうという危機感から、軌道に乗っていた仕事を辞め本気で骨法に専念する決心を固めた次第です。
 
この度、ご縁があり長野県から受講されるということは、将来的に長野で施術をすることになる可能性もないわけでありません。
そんなことも夢見ながら日々の施術を行っております。


 

さて、本気でやるとは言っても何から始めていいものやらわからず、当時知人が主催していたセミナーで知った【ランチェスターの弱者の戦略】を実践してみることにしました。弱者の戦略は「まず地域一番店になること」でした。いきなり市内トップや全国区の施術院を目指すのではなく「自分の住まいの周辺地域で一番になること」を目標にしたのです。『高松市松縄町で一番の施術院になる』ことを目標に、まずチラシのポスティングから始めました。
手作りの簡単なチラシを家庭用のプリンターで印刷して空いた時間に各家庭のポストにチラシを投函して回りました。
経費を削減するため、A4用紙を半分に切った大きさのチラシでインクは百円ショップの交換用インクを使い、プリンターはキャノンの中古を1万円程度で買い安くあげることに専念しました。看板なし、ホームページなし、あるのはフェイスブックとjugemの無料ブログだけ。

 

某年12月24日、粉雪が舞う夜に近所のポスティングを開始して約1年半で、自宅から半径10Km以内の高松市内の住宅密集地はほぼ全戸にポスティングを完了しました。
夜遅くにポストにチラシを投函していると怪しまれたこともありました。ある時は覆面パトカーの職務質問に遭い「乗っていた自転車の所有者名義が私の者ではない」ということで窃盗の嫌疑をかけられました。自転車は妻の物だが妻は7年前に死去したというと『ほほう、死人に口なしか!あとは署で話を聞こうか!』と鬼の首を取ったような態度でした。何を言っても上げ足を取ってくるのは下っ端警官の習性でしょうが、もう一言ムカつくことを言ったら県警本部長宛に苦情を申し立てようと思ったほどでした。私の受け答えに対して『元銀行員ならそんなことは言わない』とか難癖をつけてくるのです。
パトカーで連行される間に『もし後日所有者から被害届が出たらこの自転車は盗難車だということになるぞ』というから「あーあ、そうですね、もしそうなったら盗難車ということですね」というと『漫才をする気か、こっちは真剣に仕事をやってるんだ』と言葉を荒立ててきました。「もしも・・・被害届が出たら・・・という前提なら、そのご意見は正しい」とお答えしたのですがご機嫌を損ねたようでした。
真夜中に南署に連行されさんざん犯人扱いをされ、しまいには私が自転車を指さした状態で写真を撮られましたが、いかにも「わたくしがこの自転車を盗みました」と言っているような雰囲気の写真でした。
結局盗難車だという確証がないまま息子に身元引受人として迎えに来てもらって釈放されましたが、自転車は返してもらえませんでした。
ポスティングには自転車が必要なので翌日1万円で折り畳みの自転車を買いビラ配りを継続しました。
一週間しても自転車を返してくれないので南署に電話して「仕事で必要であるのに自転車がないから仕事ができなくて困っている。自転車の名義人に聞けば盗難かどうか即座にわかるはずだ」というと夕方、しぶしぶ返してくれました。
自転車を届けてくれた刑事がいうには「実は自転車の名義人は〇〇さんなんだが転居して連絡がとれなくなっている」ということでした。その名前に聞き覚えがあり、妻の葬儀の香典記録をみると高額の香典をいただいた方でした。その香典記録の住所氏名と自転車の名義人の住所氏名が一致したので、自転車は盗難ではなく妻の親しい知人から譲り受けたものであろうということで嫌疑が晴れました。

そんなことも経験しながら高松市の西部をポスティングしていた時、ログハウスでお洒落な店がありました。何の店だろうと興味津々、通常なら仕事中には寄り道はしないはずのわたくしがその店に入っていきました。中には金銀財宝お宝の山・・・山・・・山・・・・
・・・ではなくて、大小様々な天然石がぎっしり展示されていました。実に見事な天然石ばかりで欲しいと思いました。その中のたった一つの透明な水晶の玉がちょうど財布の中身の金で買える値段でしたから迷うまでもなく購入しました。
それを買ってから数日後、患者さんから予約の電話が入るようになり次第に忙しくなってポスティングの時間がなくなっていきました。

ある日のことです。以前の患者さんから電話があり『ゴルフのグリップが握れなくなって飛距離が出ない人がいるから首を治してやってください』ということでした。やってきた方の首には大きなしこりができていてそれが手に通じる神経を圧迫して握力が15kgまで低下してグリップがしっかり握れなくなり飛距離が出なくなっていたのです。他の人が思い切りスィングして飛ばしているのに、その方だけいわゆる刻みゴルフしかできない状況でコチョーン、コチョーンと短く刻んでいたのでした。それを他のメンバーが見かねて当院を紹介してきたということでしたが、その方の首のしこりを治したら再び握力が回復して以前のような飛距離が出るようになりました。「また以前のようなゴルフができるようになった。嬉しい!」とばかり、行く処で当院の宣伝をしてくれました。
当院のチラシを100枚くらい持って帰って、行く処、行く処で「まあ、騙されたと思って行ってみなさい」と宣伝をしてくれたのです。
それからというもの3か月間休みなし。(元々当院は年中無休ですが、年中満席と言うことではなく暇だから休んでおれないということでした。)
ヘトヘトに疲れて手は腱鞘炎になるほどでした。しかし、疲れ切って限界を感じた時、水晶をみるとなぜか力が湧いて来たのです。まさしく水晶パワーでした。
 

今日の当院があるのはその方のお陰であり、当院の基礎を作ってくれた大恩人として奉(たてまつ)っております。
 

(続く)

    

 

        

                               

 

 

 

 

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