大したことはしていない!が・・・大したことをしている!!

骨法を習い始めた頃のこと。

神戸の某知人が腱鞘炎?と肩の痛みでキーボードを打つ際にも苦労していると聞き、早速習った技を試してみたことがあった。

肩回し、上腕、肘関節、手首から指先までの揉みほぐしを試してみた。

自宅に帰ったころには痛みがとれてキーボードが楽に打てるようになったという連絡があった。

「あなたは名人なれるよ」と言われたが当時の私には夢のような話であってピンとこなかった。

そのことを練習の際に師匠に報告し「大したことはしていないんですがね」というと、師匠と二番弟子がすかさず『大したことをしてるんだよ』と大きな声で返してきた。

(そんなものなのかな?やったことは大したことではないんだけどな)と思いながら歳月が流れ、今では全国から患者さんは勿論のこと、お弟子さんも来るようになった。

今年は開院10周年の節目の年にあたるが、思い起こせばいろんな出来事が思い出される。

症状が千差万別であってワンパターンでは治らないこともあることは当然であるが、人の考え方も十人十色。

銀行員時代には体験できなかったようないろんな考え方の人に出会い教えられ、思い知らされ頭を打たれた。

あるいは多くの喜び、感動、感激を分かち合ったこともあった。

♪・・・♬
さわやかな青春、清らかな青春、大きな夢があり、限りない希望があった。

儚(はかな)い希望(のぞみ)があり、辛い別れもあった。

そんな時はいつも母にも似た優しい眼差しの君たちがい、そして僕がいた。

♫ ♫ ♩ ♪

今にして思うことであるが『骨法』とは計り知れないほどの奥の深さ、幅の広さをもった究極の療術であるという思いを強くしている。

やっていること自体は大したことではないが、その効果はとてつもない効能がある、しかも誰にでもできる普遍性を持った療術であって、結果は大したことをしているのだ。

さらに言えば何の道具も設備も要らない。究極の理想の療法なのだ。

現代医学が進歩したというが実際のところ進歩したのは医療器具であって、その本質はコンピューターの発達である。何億円もの高い医療器を使って高度な検査などを可能にしているだけで本質をみれば医学は進歩していない。そればかりか医療は悪質化している。

本物の療法は(てのひら)だけの療術だから家庭での常備薬のように全ての家庭や職場に広まれば費用のかからない理想の療法として有効に活用できる。医療器具を扱うよりずっと簡単で誰にでもできるのだ。


【天は二物を与えず】
しかし、理想の療法にも欠点はある。長所ばかりではなく欠点もある。

唯一最大の欠点
は「治ってしまうこと」・・・つまり営業には不向きであるということだ。

元々、戦国時代に味方の武士や殿様、姫様の病気や怪我を治していた療法であるから敵には知られたくない『秘伝の技』であった。

敵は病気や怪我で寝込んでくれる方が攻めて来なくて都合がいい。味方はいつ敵が攻めてきても戦えるように体調を万全に整えておくのである。

こんな状況で考案された療法であるから、基本的には秘密扱いで門外不出、一子相伝で密かに伝えられてきた秘術なのである。

敵には知られたくないという考えは、社会の多くの人々を平等に治すという発想ではない。

この考えはいわば偏った考えであり、社会の病人やけが人を治す「医」の原則からすれば間違った考えである。

この考えが根底にある療法だからなのかどうかはわからないが、戦国時代以降の社会においても広く知られることはなく、日陰の存在であった。(ちょうどわたくしのように・・・だ!)

そして現代社会においても、いい物なのに広まらないという一面を併せ持っている。

道具も電気も薬剤も使わずほとんどの慢性病を掌だけで平均数回で治してしまう究極の療術であってしかも低料金なのに広まらない。

これには社会の一般的な考え方では理解できない面があるのである。

人の心理をよくよく聞いてみると「せっかくいい療法を見つけたんだから他人には知られたくない」という考えを持つ人も少なくはないようである。

だから案外クチコミが広まらない。「呪われた療術」といえば不気味ではある。

「いい物だから隠しておきたい」。この考えは「理想の恋人ができたら誰にも紹介したくない。取られたくない」という考えと似ている。

経済学では「グレッシャムの法則」というのがあり「悪貨は良貨を駆逐する」のだそうだ。

施術の世界でも同じことが言えるのは人の心理を知る上で興味深い。

昨日の患者の義父が某療法で施術院を経営していて「あんまり治してしまったら固定客が減ってしまうから少し手加減する必要がある」と言ったらしい。

その患者は『お義父さん、それは違う、その考えは間違っとる』と反論したそうだ。確かに間違っている。正しい考えではない。

しかし現実では治してしまったら患者が来なくなるというのは正しい論評ではある。(社会正義であるかどうかは別にして)

世間では治さない施術院の方が繁盛していることも事実なのである。

リピーターを増やせば経営が安定することは経営の基本であり常識である。飲食店美容院ならリピーターを増やせばいい。

しかし治す仕事でリピーターを増やすという考えは根底が間違っているのであるが、現実に収入を増やすには間違った療法が有利であって、どの施術院でも治さない療法を採用していることは否めない事実ではある。

また、せっかく当院で本物の療法を習っても実務では使わないプロばかりなのも事実である。
あるいは治す療法を採用したが今までの常連の患者が減ってしまって営業が続けられなくなり、口先だけでごまかすようになってしまったという大阪の鍼灸院の例もある。これは物事の善悪ではなく現実なのであり否めない事実である。
正論だけでは世渡りはできないということだ。

要は主たる目的が病気や体調不良を治す為に営業しているのか金儲けのために営業しているのかの違いである。

後者であれば、治すフリをして治さないで「また来なさい、また来なさい、3年でも5年でも来なさい。いいお客さんやね!」と褒めて優しくすれば何年でも来てくれる。これがいい先生なのだ。

物事の本質から考えたら「優しい先生」であるかどうかは施術の本質とは別の次元の話であって、本来なら「治してくれる先生」が「いい先生」であるはずだが世間の判断基準はどうもそこにはないらしい。
世間一般には金儲けのためにやっている施術院が多く、患者も治らないのが当たり前だと思わされているのだ。

再び昨日の患者の話になるが「足が痺れる症状で高松から高知まで月二回、2年も通ったことがある」というから営業上の上得意である。しかも、2年で治ったのならまだしも、治っていなくて当院にやってきたのだから詐欺施術に騙されたに等しいが患者本人はそうは思っていないから世の中は不思議である。

「通常の正しい療法であれば足の痺れは1回か2回の施術で良くなるはずである。とだけ言っておこう。

最近になって世の中は正義や正論だけで動いているのではないということがわかった。開院10年目の大収穫である。

 「グレシャムの法則」

悪貨は良貨を駆逐する 悪貨は良貨を駆逐するとは、一つの社会で名目上の価値が等しく、実質上の価値が異なる貨幣が同時に流通すると、良貨はしまい込まれて市場から姿を消し、悪貨だけが流通するという「グレシャムの法則」のこと。 転じて、悪がはびこると善が滅びるというたとえにも使われる。

今の日本の現状は、まさにこの法則がぴったり当てはまる。

 

 

 

 

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